新たな文明の始まり、弥生時代。
縄文晩期、約26万人から8万人に激減した人口。
ここで注目したいのは縄文人自身は自身の力で農耕に進めなかった、あるいは進まないことを選択した事。
日本列島人は今までの社会を変えることが苦手な傾向がこの時代から見られるという事だ。
つまり、社会の変革を期待するより微力ながら個々人で適応変化したほうが早い。
日本の稲は現在の説では中国南方長江下流周辺より直接渡来の可能性が高くなっている。これで1kmあたり1人の人口の壁が徐々に破られることになる。
http://www.kaze-travel.co.jp/indochina_kiji020.html
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1292.html
より
タイ、アカ族鳥居 高石神社鳥居
日本、高石神社鳥居
タイ、アカ族住居
日本、京都山間部住居
中国雲南省、紀元前3世紀ごろ 日本神社と類似
しめ縄も元は蛇信仰の可能性が高い。