辺境人けんの生活研究所

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美しいまま死にたいと願った君は

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美しいまま死にたいと願った君は幸福というものをよく知っていたように思う。幸せと美しさに包まれたまま人生を終わらせたかった。私は生き延びてしまったので没落と不幸を知るだろう。長い長い旅がこれから始まる。私自身は途中までしか行くつもりはない、幸福というものを知っているので。

神奈川県1家賃が安いアパート

ハイツ伊藤 1階 1K[1096261419]相模原市緑区の賃貸アパート【アットホーム】|賃貸情報[賃貸マンション、賃貸アパート、貸家]や部屋探し

 

神奈川県1家賃が安いアパート。月々、賃料13,000円であり下手すると東南アジアより安いのではないだろうか。

欠点はプロパンガスであることだが、家賃が安すぎて気にならない。

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銅鐸と越

銅鐸と磁器鐸

 『 中国沿海部の江蘇省無錫市にある紀元前470年頃の越の国の貴族のものとみられる墓から、原始的な磁器の鐸(たく)が見つかった。南京博物院(同省南京市)によると、これまで中国各地で出土した鐸と異なり、日本の弥生時代の銅鐸によく似ている。中国側研究者からは「日本の銅鐸は越から伝わった可能性があるのでは」との声が出ている。ーー 略 ーー。
    鐸は四つ見つかり、高さ約20センチ、幅約12~18センチの鐘型。肌色で表面に蛇のような小さな模様が多数刻まれ、鐸上部に長さ数センチの蛇や虎の姿を模したつり手が付いている。
    同博物院などの説明では、黄河流域を中心に中国各地で出土してきた鐸は上部に手で持って鳴らすための細長い柄が付いたものばかり。日本の銅鐸と似たつり手の付いた鐸が、長江(揚子江)下流域の呉(?~紀元前473)と越(?~紀元前334)に存在していたことが歴史書にあるが、実際に中国で出土したのは今回がはじめて。楚に滅ぼされた越から日本に逃げた人がいるとされることもあり、日本の銅鐸との関連性を指摘する声が出ている。 ーー 以下、略 ーー 』

 

銅鐸も北上した百越文化である可能性が高い。

しかし、2世紀ごろ銅鐸鋳造は無くなってしまう。

しかし、神道文化にその名残を現代まで留めることになる。

艾未未氏作の1億円の壺と黄河文明の物の貴重さに対する感覚の違い。

艾未未 - Wikipedia

中国のアーティストで漢代の貴重な壺を割るというパフォーマンスをする方なのだが、この壺をただの安物だと思った他の人間に割られてしまった。

jp.reuters.com

要はこの壺などは本体の黄河文明が存在すれば容易に再生できるのであって、壺は従であって黄河文明が主であると感じさせる。

また、当時から非常に生産性が高いので遺物も限りなく多い。

日本のように物の生産が乏しく貧しい文明とは感覚の違いが凄まじい。

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kkomori.cocolog-nifty.com

上記より拝借、日本では鉄資源が貴重であったために古代の貴重な刀に対して曲げ試験をしてみるとは考えにくいが黄河文明人はやってのけてしまう。

日本人のように鉄の聖書的な感覚はない。

当時から大量生産社会で、その感覚は日本、ヨーロッパを2000年は先取りしている。また、上記鉄刀は鍛造線が見えることから後代の日本刀と同様の鍛造製法で作られており、鍛造技術そのものも日本刀の専売特許ではない。

日本人と違って物に信仰が発生しない態度が大きく異なる。

鬲(れき)に見る黄河文明の大量生産性

 

 

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既に殷代で大量生産に向いた製法が取られている。当時大量の需要があったことを示している。

日本は職人技に対する賞賛に見られる通り量より質の文明であるから、黄河文明とは異質感がある。言語構造、家族構造も漢族と異なっており、そもそも生産に対する態度が真逆であるので連帯感も生じにくい。

飽くまで、黄河文明とは漢字を共有しているだけで異質だと見たほうが良さそう。

 

参考

http://www.mishima-kaiun.or.jp/assist/docs/JNo12-kikawada.pdf